あーいいねー・・・ あっどうもぉ〜 温泉での快楽が忘れられない石田三成デース。 今回は我が殿太閤殿下に果敢にも戦いを挑み、そして降伏した元親さんに さらなる悲劇が襲うという、非常にダークなお話をしなければなりません・・・ |
それにしてもヨッシーに失礼な事をしなかったか?? 盛ちゃんよぉ〜 |
いやいやいやぃゃ・・・! よかったねーヨッシーは。 本当に礼儀正しくて、年上なのに偉そうなそぶりも無く、 大人って感じだったねー。 桂浜でプリクラもとったしねー。 見たい??あーみせてあげなぁーい(プンプン おっと、私は司会者よりも偉い!!長宗我部盛親です。 なんせ主人公元親の息子ですから。 しかも時期当主!! ごめんねー、大名で。えへへぇ! ぶぶぶっ!! あんな手紙書かれたんだ。ムカつかせたろぉ |
さて、冗談はこれくらいにして、今回は少し声のトーンを落として説明していきます。 みなさん、ハンカチを忘れずに。 |
もう泣いとるわぃ・・・ |
では読みまーす。
元親が四国の覇者ならば、お隣九州でも覇者が生まれようとしていました。 薩摩の島津義久です。 義久が九州統一に王手を掛けた頃、戦国時代は一人の男によって統一されようとしていました。 大友宗麟からの救済要請もあり、豊臣秀吉は義久に対して攻撃の中止命令を命じましたが、義久は関白の命令を無視。 尚も大友家に対して攻撃を続けます。 すぐさま秀吉は中国の毛利家と四国の長宗我部家、旧領に復帰した十河存保、そし高松城の城主となった仙石秀久らの四国連合軍に大友宗麟への援軍としての出陣を命じました。 秀吉は四国連合軍の総指揮を元親ではなく、仙石秀久に任命し、持久戦の方針で戦をするように命じました。 義久は、家臣の島津家久に大友家居城府内城攻撃を命じ、その前哨戦にと1万8千の軍で府内城近くの鶴賀城への攻撃を開始しました。 すぐさま鶴賀城救済の為陣を進める四国連合軍であった。 元親は秀吉の命である持久戦を主張するが、勝ちを焦る秀久はその意見を無視、戸次川で両軍が睨み合います。 地の利を活かし、得意の陽動作戦で有利に戦を進める島津軍の前に、仙石秀久の軍は壊滅状態に陥ってしまいます。 その救援のため戸次川を渡った長宗我部軍と十河軍は奮闘するが大敗。 十河存保。そして、元親最愛の嫡男長宗我部信親が討ち死にしてしまいました。 元親は意気消沈の中、何とか一命を取り留めて土佐へと引き返していきました。 おおおぉぉ・・・すさまじい戦だったんだねぇ・・・盛ちゃん?? |
ううぅぅうぅうう、兄ちゃぁ〜ん! うえぇえええええんん・・・ |
まぁまぁ、落ち着いて、盛ちゃん。 泣いてちゃ話が先へ進まないよぉ。 |
ぐすん・・・そうだね この戦で長宗我部家はどんな財産よりも大切な後継ぎを失うんだよ。 兄ちゃんは文武に優れて、家臣からの人望も厚かったんだよ。 ぼくなんか到底勝てやしないくらい遠い存在だったんだ。 |
盛ちゃんがそこまで言うんだから、よほど凄かったんだろうね・・・ 信親さんは。 |
戸次川での兄の武勇は敵方の島津にも知れ渡って、その死を聞いた島津義弘も
父ちゃんの心中を思って涙したといわれているくらいだからね・・・ それにしても仙石秀久のバ・カ・ヤ・ロ・ウがぁ!!! |
うむむ・・・ 同じ殿下の家臣としてもちょっとねぇ・・・ 真っ先に故郷へ逃げ帰っちゃたしね。 この大敗に激怒した太閤殿下は秀久を領地没収の上追放しちゃうんだよ。 |
死罪にも値すると思うんだけどね!!! だって軍命違反やん!! 父ちゃんや十河さんは、持久戦しろっていったのにぃ 秀吉だって、最初から父ちゃんを総大将にしておけば負けなかったのにぃ!! |
勝敗までは解らないけど、確かに力は元親さんのほうがあっただろうね。 なんせ四国を統一したんだから。 けど、秀久のほうが家臣としての忠義が違うから、信頼性を重視したんだろうね。 もしかしたら、元親さんが島津に寝返るかもしれないやん。 |
それはよく解ってるよ。 ぼくだって戦国武将だからね。 |
けど・・・ 長男が戦死したけど、次男や三男さんはいるんだよねぇ?? 前にも聞いたけど、なんで盛ちゃんが家督を相続したの?? |
そ・れ・は・ね! 次の資料読んじゃって!!! |
あっはいはい・・・
最愛の後継ぎを失った失意の元親には、信親に代わる家督継承を任命する必要があった。 秀吉は元親に対して次男である香川親和を継承者にするように計らったが、元親はその計らいを断った。 実力において最も力を持ち、後継者に最もふさわしいと言われていた三男の津野親忠も良しとせず、 元親は自らが最も溺愛していた四男の千熊丸を後継者とした。 当然周囲の家臣からの反発もあったが、元親は逆らった吉良親実や比江山親興に切腹を命じ、関係者達も ことごとく殺害しました。 反抗者を削除した元親は、豊臣家五奉行である増田長盛に烏帽子親を依頼、千熊丸は「盛親」と名乗らせる 約束までしました。 いくら、自分が一番偉いからって 周りの意見無視しちゃ後々やばくなっちゃうよぉ・・・・ |
・・・ この件に関しては、ぼくも非常に辛い立場でしてねぇ・・・ |
お兄さんたちってその後どうなったの? 盛ちゃんが後継ぎだっ! って決めた後。 |
うーん。 次男の親和兄ちゃんは家督問題の最中に病死しちゃうんだ、一説によれば暗殺かもしれないけど・・・ で、三男の親忠兄ちゃんは、自分から 「家督問題には関与しない。辞退する。」 といって身を引いちゃった んだよ。 頭のいい兄ちゃんだったから父ちゃんにさからっても無駄だって解ってたんだろうね。 |
そっかそっか・・・ 津野さんは藤堂高虎さんとも凄く仲良かったらしいから、器量もあったんだろうね。 でも、盛ちゃん本当は嬉しかったんじゃないのぉ?? |
まだ12歳やで。 家督がなんなのかもよく解ってなかったわぃ!! |
で、盛ちゃんってお兄ちゃんの娘さんと結婚したの?? |
わっさすが三成ちゃん、勉強家ですわね。 今では考えられない状態だよね。兄の娘だから姪っ子ちゃん?? しかたないんだよぉ。 この時代って結婚相手なんか親が決めるのが当然だったもんね。 |
確かにね。 大名家ではそれが定説だよね。 俗に言う政略結婚ですなぁ |
それにしても、この相続問題で重臣達も沢山死んでしまうんだから つくづく戸次川の悲劇が悔やまれるよ・・・ |
辛かったんだと思うよ。 元親さん自身も。 んっ?? ねーね盛ちゃん。 元親さんってこの頃城引越ししてない?? |
そうそう、岡豊城から大高坂って所にあった城に移ったんだよ。 |
なんで?? |
さぁあ?? 理由は明確じゃないみたいだけど、 城下町の発展とかが理由じゃないかな。 最近の調査では、秀吉が命じたってのもあるらしいね。 ともあれ、戦も一段落して、あんまり攻め込まれる脅威がなくなったから、 山に籠もって守るよりも、平地で城下町広げたほうがいいやん。 |
たしかにね。 大坂城も、小田原城も、大発展をした城ってやっぱり 人が集まる平地だもんね。 |
そうだ! 話は戻るけど三成ちゃんって増田長盛さんと親しいんだよね? |
そりゃね、だって同じ五奉行だよ。 元親さんも、ぼくに言ってくれたらねー 烏帽子親^^。 盛親じゃなくて成親? だったかもねぇー |
いやっ・・・ そりゃない!!! |
わー 三成ちゃんだったらよかったのになー、本当に。 なんで長盛さんだったんだろう??? 父ちゃんにもいっとかなきゃーね。(プンプン |
それでは、お後が宜しい様で〜 次回まで〜さようならーww |
よ |
ブチン!! |
<< 戻る |Top| つぎへ >> |