おはようごっざいまぁーす!!(小倉さん風に・・・) 長宗我部元親公の人生をズバ〜リ解析しちゃうこのコーナー!!! メイン司会の石田三成です。 パチパチパチパチ!! |
さて 前回のお話でついに土佐一国を統一した元親さんですが、 今回からはさらに強大な猛者達を次から次へとやっつけていっちゃう活躍をお話 していきまーす。 えーと、ゲストは引き続き盛親ちゃん!!! |
いやいやいやいやいやいやぃゃ・・・ もうゲストじゃなくてレギュラーだよねー。えへへへ 冗談ではありませんよー 寺子屋で子供に学問等を教えた事もある長宗我部盛親です。 おおっこれは冗談では決してありません。 |
さて、冗談はこれくらいにして 今回は四国統一への道について解説して意気マース。 |
強っ!! しかも無視・・・ |
それでは、さっそく資料ですねー
土佐を統一した元親は、天下の動向にも目を向け最も勢いのあると評判の織田信長に接触します。 長男弥三郎の烏帽子親を依頼すると共に友好関係を強固にする為に、元親は中島可之助を使者として遣わします。 そして信長との友好関係を築き、弥三郎は信長の「信」の字をもらい信親と名乗って元服しました。 いやー 元親さんは見る目があるねぇ 大殿を相手にしては四国統一どころじゃないからね。 即滅亡だよね。 |
まっそうだろうね。 織田家と長宗我部では、天と地ほどの差が出来ちゃってたからね。 |
ところでこの可之助って人、こんな大役を任されるくらい権力があったの? |
ぜんぜん・・・ どっちかと言えば下の下・・・ 若いし、立派な家柄でもないし。 けどね!可ちゃんってものすごく度胸があって、志がおっきかったんだ。 そうだねー、坂本龍馬ちゃんみたいな感じかなぁ |
龍馬?? よくわからないけど・・・ 有名なんだろうね。 そういえば盛親ちゃんて四男坊だよね。 大殿が烏帽子親になるくらい立派なお兄ちゃんがいたのに、なんで盛ちゃんが当主になったの?? |
しー!! それはもっと先のお話でわかるから・・・ 三成ちゃん次行って次!! |
あいよ!!
信長との友好関係を築いた元親が最初に攻め入った場所は阿波の国でした。 真っ先に攻略したのが海部家。 この海部家は元親の弟親益を殺害した一族で その弔い合戦も兼ね、海部家の守る海部城を容赦なく殲滅させました。 その進撃は周囲の豪族から恐れられ、次々と長宗我部家に降伏していきます。 阿波南部を手中に収めた元親は四国の中央に位置し、交通の要である白池城 攻略に乗り出します。 親益さんって一条家に人質として送られていた人だよね。 なんで海部家が殺したの?? |
うーん 親益伯父さんは武力に優れていたんだけど病気になっちゃんだ。 だから、療養する為に船で阿波沖を航行中に安芸一族の残党と海部一族が一緒になって 襲われちゃったんだ。 この死には、父ちゃんも凄く悲しんだらしいよ。 ちなみに親益伯父さんはおじいちゃんが家臣の嫁さんに手を出してうまれたから、島姓を名乗っていたらしいけどね。 |
わぉ国親さんもやりますねぇ〜 って浮気かよ!! さて続きは・・・
白池城の城主大西覚養は三好家に従属していたが、元親が覚養の
兄を使って降伏勧告を促すとあっさりと承諾。 降伏の証に息子である上野介を人質に出して、敵意がない事も表明しました。 しかし、その2年後三好家の誘いを受け、反旗を翻してしまいます。 元親の家臣たちは覚養の息子を処刑しろと迫りますが元親は 「罪があるのは覚養である。上野介には何の罪も無い。」 といって家臣たちをなだめて送り返すように指示します。 これを聞いた上野介は 「自分を見殺しにして、寝返った覚養はもはや父ではない。 今後は元親様に忠誠を誓います。」 と言って白池城までの道案内を買って出ました。 1578年に白池城は陥落。 大西覚養は讃岐へと落ち延びていきました。 「四国の辻」 を手に入れた元親は家臣である谷忠澄を城主に置いていよいよ本格的な 四国制圧に乗り出します。 これはいい話ですねぇ〜。 私も人質作戦に失敗した者ですから勉強になりますなぁ・・・ |
父ちゃんは戦に秀でていただけで無く、人徳があったんだよ。 優しくて男気があって。 運が強かったら絶対天下統一しているよねー |
まぁ、群雄割拠ですから。 (力+知略+人脈)×運でしょうな。 この白池城ってそんなに四国で重要な場所だったの? |
もちろん! 四国って四国山脈が真ん中にドーンとあるから、交通の便が悪いのよ。 山間に沿ってくねくねと峠道を進むしかないんだ。 あとは海路だね。 そんな中で、数少ない道が重なってどの国にも進む事が出来る白池は ぜったい抑えておきたかった場所なんだ。 だからこの城には、最重臣の谷さんががっちりと守ったんだよ。 |
なるほどぉ・・・ さて次が気になりだしました。
白池城を中心として、阿波国東部へ侵攻していった長宗我部軍は次々と敵の城を制圧。 降伏させていきます。 一方別働隊として香宗我部親泰は阿波南部から海岸沿いを進軍。 富岡城にまで到達します。 長宗我部軍の素早い侵攻に三好家は次第に追い詰められていきます。 一方讃岐へは、手始めに藤目城の攻略を開始、激戦の末に手中に収めます。 讃岐攻略の際、天霧城主の香川信景を降伏させることに成功します。そして、信景は元親の次男 親和を婿に迎えて家督を譲りました。 さらに讃岐に侵攻した長宗我部軍は羽床城を守る羽床資載を包囲し、降伏させます。 讃岐で武勇を誇っていた資載の 降伏によって周辺の豪族も続々と長宗我部家に降伏し始め、元親は瞬く間に讃岐を手中に納めます。 めちゃくちゃ強いねー 長宗我部軍って。 |
まぁ実際は反撃されたり城を奪い返されたりして苦労はしたんだけどね。
根本的な強さが土佐武士にはあったみたいだね。四国では・・・ |
おおっ、「四国では・・・」って意味ありげだね。
そういえば長宗我部家って「一領具足」っていう家臣団がいたの? |
ナイス振り!!
三成ちゃんとも息があってきたねー。 長宗我部軍が誇る一領具足!! これは強いよー。 普段は農民なんだけど、常に戦道具を持って農作業をしていたんだ。 で、戦の要請があると、直ぐに戦場に駆けつける。半農半武士の家臣団だぁ!! |
なんか田舎くさっ・・・(ボソ
けど、短時間で兵を収集できる意味では強みだよねー |
あのねぇ、それだけじゃないよ。 日頃から農作業をしているので足腰も丈夫。 腕力も強くって、一人一人が剛勇の武者だったんだから。 |
だけどさー農民だから収穫時とかは動けないし、集団戦法の訓練とかしてたの?? |
あー眠たい事いうねぇー三成ちゃんも・・・
長所を伸ばさないと!!!前向きに考えてね チュッ! |
はいはいっ都合の良い盛ちゃんは置いといて
続きです。
阿波、讃岐と同様に伊予にも勢力を伸ばし始めた長宗我部軍は、軍代だった 久武親信が討ち死にする等、決して順調ではなかったようですね。 伊予の有力勢力としては河野家や西園寺家がいたが、それ以上に脅威だったのが中国の毛利家でした。 名君元就公はすでに没していましたが、当主である孫の輝元や小早川隆景、吉川元春等、強力な名将が残る毛利の援軍を 伊予国人衆は頼っていたようです。 しかし、頼みの綱である毛利も天下統一の野望に燃える織田信長から侵略を受け、四国へ援軍を送る余裕は無かったみたいだね。 で、その隙を狙って一気に長宗我部軍が優勢となります。 漁夫の利ってやつですかね。 さすがの元親さんも毛利と真っ向勝負したらやばいよね。 |
だねー 国力の差なんかもあるからね。 けど、伊予の勢力だけなら父ちゃんの敵ではなかったみたいだね。 伊予・阿波・讃岐を同時に攻めるみたいになったから結構家中は忙しかったんだなぁ・・・ がんばれ父ちゃん! |
ささ、四国統一まで後一歩、しかし思わぬ出来事がぁ!!! |
やだ〜〜〜ぁ |
四国統一に向け着々と進撃する元親に黒雲が立ち込めて来ます。
三好家や河野家が度々織田信長に対して助けを求め始めました。 たとえ 「鳥なき島の蝙蝠」であっても、この予想外の進撃を前に、信長の考え方も変化し始めます。 信長は突如盟約を無視し、元親に牙をむき出しました。 信長は今すぐ四国での進撃を中止するように元親に訓告します。 この理不尽な要求に元親も断固として拒否。 両者の衝突は、もはや避けられなくなりました。 1582年信長は三好康長に援軍を送り、一気に一宮城等を攻め落とします。 長宗我部軍の間に「恐怖」の二文字がよぎる中、日本全国を揺さぶる事件が勃発します。 そうっ「本能寺の変」です。 元親にとっては目の前の強大な敵が突然いなくなったのですから、強運以外に言いようがありません。 織田家中が火の車となった状態なので四国討伐の話も無くなります。 この好機を狙って元親は三好康長 を阿波から追い出します。 いよいよ四国統一へのカウントダウンが始まります。 |
ウルウルウル・・・ 感激中 |
運めちゃくちゃ強いヤン。 元親さんは |
運も実力の内!!!
信長ファンには申し訳ないけど、明智さんに感謝だねー本当。 |
確かにね・・・ 織田家臣のぼくからしてみれば ムッと来る話だけど、起きちゃったものはしかたないからね。 まぁここだけの話、 本能寺の変が無かったら殿下の天下統一も なかったわけだからね。(ボソッ |
あの信長さんに危機感を多少なりとも与えたんだから
やっぱり父ちゃんは凄かったんだねー。 |
確かに、気にも留めてなかったらわざわざ戦なんて仕掛けないからね。
しかも、中国の毛利と対決している最中に・・・ |
本能寺の変後は三成ちゃんのボスである秀吉さんが大活躍するんだよね。 |
わっはっは〜!!ついに羽柴筑前守秀吉様の本領発揮だわ!! |
ででっ、続きは?? |
はいはい。
阿波に残った三好家をどう攻めるかについて軍儀を重ねた元親は 重臣達の主張する「持久戦作」を跳ね除け一領具足の「短期決戦作」を採用します。 そして国内で徴兵を行い、「四国統一の軍に加わりたいものは年齢、身分に関係なく 志願せよ」と促すとその数は一気に2万を超える大軍勢となりました。 そして、この強力な戦力と共に一気に三好家の要である城勝瑞城の西部中富川で 激突しました。 圧倒的な兵力の差によって三好軍は壊滅的なダメージを受けて敗退。 籠城した後も半月ほどで撃破、三好家の十河存保を讃岐へと追いやります。 その後三好家に奪い返されていた岩倉城も奪取し、阿波は完全に制覇しました。 いやー織田の援軍が無かったら三好家も弱いなぁ・・・ |
いやいやいやぃゃ・・・
三好家も決して弱かったわけじゃないよね。 ただ 時代の流れについていけなかったのと、 人材不足や兵質も原因じゃないかなぁ っていうか何よりも父ちゃんの軍が強すぎなんじゃないかぁ!!!エッヘン |
確かに短期間で2万人以上の兵を集めれるのって凄いよね。
度重なる戦で兵力が低下しているのに・・・ |
それは土佐国人の性格もあるよね。
祭り好きというか、でっかい事をしたがるというか・・・ |
なるほどねー。
それでは四国統一までのラストスパートだぁ |
やぁ〜〜だぁ! |
阿波から退いた三好家を粉砕すべく、元親は東讃岐に侵攻します。
目指すは十河城。 最後の意地なのか、守備側もしぶとく抵抗します。 戦況不利と見た元親は一旦兵を土佐に引きます。 その間に三好家の十河存保は信長の後継者となりつつある羽柴秀吉に 援軍を要請、秀吉はこれに答えて仙石秀久を対象とした援軍を差し向けるが 元親は水軍によって撃破します。 翌年には存保が立て篭もっていた虎丸城を攻撃します。 必死で抵抗する存保でしたが、力の差は歴然。 再び援軍でやってきた仙石秀久も 長宗我部軍の前に敗走。 十河城へと退いてしまいます。 さらに、元親は攻撃の手を緩めずに、一気に十河城を陥落させます。 十河存保は 命からがら来大坂へと逃げていきます。 ここに、三好家の阿波、讃岐支配は完全に途絶え、讃岐・阿波は完全に制圧しました。 残るは伊予のみとなります。 ここでも運がよかったよねー、この時殿下も結構忙しかったんだよ。 柴田さんとか 家康もいたからね・・・ けど秀久ちゃんが大将じゃなかったら、こうはならなかったかもね。 |
うーん、この時の羽柴軍はまだ父ちゃんが太刀打出来ない程ではなかったのかな?? |
結果論だけど、秀久ちゃんって、あんまり戦上手じゃなかったからね。
もし、ぼくが大将だったら、どうなってただろうねぇ〜♪ |
けど三成ちゃんのこの時の身分じゃ大将なんて到底・・・ |
だまらっしゃい!! (ペチッ
さてさて、いよいよ伊予国を残すだけとなった、四国統一への道のり! このまま進むかと思いきや・・・ 続きは次回ということで!!! もったいぶらせます。 じらさせてもらいます!! それでは、次も是非見てねー ワハハハハハ バイバーイ!! |
えっうわー じらすのもいいけど最後にぼくも感想く |
ブチン!! |
<< 戻る |Top| つぎへ >> |