土佐の戦国Data

長宗我部元親伝−第8話

長いシリーズだなぁって半分嫌になりながら進めてきました。
この長宗我部元親列伝も、今回で最終回となりましたぁ〜
いやー、盛ちゃん、どうでしたかぁ??
素晴らしい父を持った感想は?
誉だね。ホ・マ・レ!!
一度は滅亡してた長宗我部家を、天下人も警戒するほどの家に 発展させたんだから。
土佐国民の☆だねー
うーん。個人的には誉めすぎのような・・・(ボソッ

そうですねー
関ヶ原の前にお亡くなりになっちゃったのは、僕にとっても大打撃だったねー。
西軍の大将としてその軍力を発揮して欲しかったね!!
いやいやいやいやぃゃ・・
長宗我部家が西軍についたのには理由が・・・
さてー、冗
ああああ、三成ちゃん時間がなくなるよ。
早く読んで!!!
あっ・・・
そだね、じゃ読もうか?
やった!!!!最後の最後で(^w^)
太閤秀吉の死去から約1年後、1599年5月15日に「鬼若子」長宗我部元親は 京都伏見の屋敷で61歳の生涯を閉じます。
法名は「雪渓恕三(せっけいじょさん)大禅定門」墓所は土佐にある雪渓寺近くの 天甫寺山に埋葬され、脇には秀吉から拝領した「内記黒」という馬を弔った塚もあります。

うーむ、太閤殿下の後を追うように死んでしまったんですね。
この時って、前田利家様等豊臣側の有力大名が死んでしまったんだよね〜・・・
うーん、太閤殿下の死去で揺れている最中だもんねー
僕も大変だったんだよ。この後直ぐに三成ちゃんが関ヶ原の合戦を起こしちゃうし・・・
だってあの狸がさぁ・・・
負けたから言い訳に聞こえると思うけどさぁ
金吾めがぁ!!!
まぁまぁ・・・
関ヶ原は今は関係ないし、話題を戻そうよ。
だーねぇ。そーだね・・・・

ところでこの「雪渓寺」ってどこにあるの?
えっとねー
浦戸城の近くだよ。
雪渓寺は四国霊場33番札所で、元々は「慶雲寺」って名前だったんよ。
このお寺は父ちゃんが保護していたので、父ちゃんの死後は菩提寺になって、名前も法名に ちなんで雪渓寺になったんだーねー
ここには信親兄ちゃんのお墓もあるんだよ。
ほほー

って土佐を知らない人は???だよねー・・・
わかったよ。簡単な地図をみせるね。
ほいっ
うーん、なんとなくだけど大体解った事にしてあ・げ・るぅ!!
むかっ!!
1時間かけて作ったのにぃ!!!
元親さんが死んじゃった後を継いだのが盛ちゃんだよねー
だねー、すいませんねーできの悪い息子で・・・
いやっ、まぁまぁ・・・歴史なんだからさぁ・・・
ともあれ長宗我部元親の生涯をご紹介していきました このシリーズも以上を持って終了させていただきます。
まだまだ語りつくせない所もありますが、 末永く元親共々この長宗我部をよろしくお願いしまーす。
はいっ!それではーばいばーい!!
ばいばーい!!ありがとうねー
END!
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