長いシリーズだなぁって半分嫌になりながら進めてきました。 この長宗我部元親列伝も、今回で最終回となりましたぁ〜 |
いやー、盛ちゃん、どうでしたかぁ?? 素晴らしい父を持った感想は? |
誉だね。ホ・マ・レ!! 一度は滅亡してた長宗我部家を、天下人も警戒するほどの家に 発展させたんだから。 土佐国民の☆だねー |
うーん。個人的には誉めすぎのような・・・(ボソッ
そうですねー 関ヶ原の前にお亡くなりになっちゃったのは、僕にとっても大打撃だったねー。 西軍の大将としてその軍力を発揮して欲しかったね!! |
いやいやいやいやぃゃ・・ 長宗我部家が西軍についたのには理由が・・・ |
さてー、冗 |
ああああ、三成ちゃん時間がなくなるよ。 早く読んで!!! |
あっ・・・ そだね、じゃ読もうか? |
やった!!!!最後の最後で(^w^) |
太閤秀吉の死去から約1年後、1599年5月15日に「鬼若子」長宗我部元親は
京都伏見の屋敷で61歳の生涯を閉じます。
うーむ、太閤殿下の後を追うように死んでしまったんですね。法名は「雪渓恕三(せっけいじょさん)大禅定門」墓所は土佐にある雪渓寺近くの 天甫寺山に埋葬され、脇には秀吉から拝領した「内記黒」という馬を弔った塚もあります。 この時って、前田利家様等豊臣側の有力大名が死んでしまったんだよね〜・・・ |
うーん、太閤殿下の死去で揺れている最中だもんねー 僕も大変だったんだよ。この後直ぐに三成ちゃんが関ヶ原の合戦を起こしちゃうし・・・ |
だってあの狸がさぁ・・・ 負けたから言い訳に聞こえると思うけどさぁ 金吾めがぁ!!! |
まぁまぁ・・・ 関ヶ原は今は関係ないし、話題を戻そうよ。 |
だーねぇ。そーだね・・・・ ところでこの「雪渓寺」ってどこにあるの? |
えっとねー 浦戸城の近くだよ。 雪渓寺は四国霊場33番札所で、元々は「慶雲寺」って名前だったんよ。 このお寺は父ちゃんが保護していたので、父ちゃんの死後は菩提寺になって、名前も法名に ちなんで雪渓寺になったんだーねー ここには信親兄ちゃんのお墓もあるんだよ。 |
ほほー
って土佐を知らない人は???だよねー・・・ |
わかったよ。簡単な地図をみせるね。 ほいっ |
うーん、なんとなくだけど大体解った事にしてあ・げ・るぅ!! |
むかっ!! 1時間かけて作ったのにぃ!!! |
元親さんが死んじゃった後を継いだのが盛ちゃんだよねー |
だねー、すいませんねーできの悪い息子で・・・ |
いやっ、まぁまぁ・・・歴史なんだからさぁ・・・ ともあれ長宗我部元親の生涯をご紹介していきました このシリーズも以上を持って終了させていただきます。 |
まだまだ語りつくせない所もありますが、 末永く元親共々この長宗我部をよろしくお願いしまーす。 |
はいっ!それではーばいばーい!! |
ばいばーい!!ありがとうねー |
END! |
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