土佐の戦国Data

長宗我部元親伝−第1話

こんにちわー
突然ですが、私石田三成といいます。
・・・えっ、なぜって。
うーん、私がここにいるのは作者が私のファンだということです。
で、僭越(せんえつ)ながら私が元親公の人生を振り返って解説していきたいと思います。
よろしくねぇ〜〜
さて、さっそくですが、元親さんの出生から・・・
えーと・・・
あんまり面白くないので初陣の時くらいに飛ばしちゃってーと
こりゃあ!!
ん??
何???
面白くないって何??何様???
資料がなさ過ぎて、つまらないんですよねー
ってあなたは誰??
私こそこのコーナーの主人公!!
長宗我部元親の四男 盛親だ!!
父への無礼、ゆるさんぞ!!
別に無礼とかじゃなくてぇ〜
落ち着いて、盛親君。関ヶ原で一緒に戦った仲じゃないかぁ
ポンポン
いやいやいやいやぃゃ・・・
関ヶ原はしかたなく・・・
って話が変わっちゃってる。
読者が引いちゃう前に進めないと!!
うわー
一人解決・・・
コホン
では改めて、ぼくと一緒に解説してくれる熊ちゃんでーす。
いやいやいやいやいやいやいやぃゃ・・・
熊ちゃんって幼名??うっそー、盛親って呼んで。
こっちのほうが有名だから!!
みなさんよろしく!!長宗我部盛親です。
さて、冗談はおいておいて
もー元親さんの若い頃ってあんまり話題ないんだって。
なにかある??
自己紹介を冗談で片付けられるなんて・・・(ボソ


うーんなんだ、ほらっ、あだ名?
あるやん。ほれっ
ん???・・・・・
あっ「姫若子」かぁ!!!
コクリ
えっとーその資料が・・・
あったあった
じゃ、読むね。
えー
主人公の元親さんは1539年、「野の虎」として恐れられていた国親の嫡男として生まれます。
幼名は与三郎。
幼い頃から色白で背が高く、かなり格好良かったみたいです。
けど、性格は無口でおとなしく、挨拶も出来なかったので家中では姫様のような若という意味で 「姫若子」と囁かれていました。
って最悪やん。
うっそー?
・・・
盛親君。
こんな話わざわざしなくても・・・
ぼくが行ったみたいに初陣からのほうが。
いーの。
父ちゃんはこれでいーの!!!
三成ちゃん!!次ぎ読んで!
はいはい・・・
では続きね
元親さんは本格的に兵法を学び始めたのも18歳と遅く、初陣も22歳に起こった長浜の合戦でした。
合戦前は一人でウロウロと歩き回ったり、
敵のまん前で座ってみたりと父から「うつけ者が!!」と叱られる始末。
今頃になって槍の突き方を家臣に聞くなどしていました。
しかし、合戦が始まると豹変!!
少人数で敵陣に突っ込み槍を振り回して奮闘。敵も恐れおののき、陣を後退する程の活躍を見せました。
元親の活躍によって味方の大勝利。
見事初陣を勝利で飾った元親をだれも「姫若子」と呼ばなくなりました。
おおおぉ・・・
能ある鷹は爪を隠すってやつですかぁ??
すごいやん。
でしょ!!
このギャップを強調したかったのよ。
ダメ息子の予想外の活躍!!!
おじいちゃんも喜んだ事でしょうねぇ〜
でも国親さんって、この合戦の直後に死んじゃったんでしょ。
そうなのよ。
ぼくも会いたかったんだけどねぇ・・・
で、いよいよ父が家督を継いで長宗我部当主になるんだよ!!
ではその後ね
国親の死去により、元親は第21代当主となりました。
元親はさっそく宿敵本山家攻略を開始します。
1562年には本山家の居城朝倉城を 攻撃するが、敵の反撃もすさまじく、被害の増大を恐れた元親は一旦休戦し、岡豊城 へ引き上げました。
ふーん
本山家も強かったんだね。
そりゃそうだよ。
元々土佐中央地区最大の力を持っていた豪族だからね。
しかも当主の本山茂辰ってのが鬼のように強かったらしくて、父ちゃんも苦戦したみたいだね。
ほほー
じゃ、続きね
元親は力だけの戦ではなく、調略も同時に行い、本山家の有力家臣たちを次々と寝返らせました。
寝返りによる兵力の低下は致命的で、朝倉城を維持する事が出来なくなった本山家は、自らの城に 火を放って本山城へと退却。
さらに本山城も攻められて、山奥の瓜生野へと落ち延びてゲリラ戦のような抵抗をみせます。
風前の灯火の中当主茂辰が病死。
息子の親茂が家督を継ぐが、家臣たちの士気は急激に低下。
1568年、本山家はついに長宗我部家へ降伏しました。
これで、土佐国内の有力勢力は西の一条家、中央の長宗我部家、東の安芸家となりました。
ワンマン社長の退陣による会社の倒産って感じだね。
やっぱり戦は人と人との信頼関係だねぇ〜(涙
三成ちゃんももう少し人の気持ちがわかったらね・・・
ってまた話がそれてます。
ちなみに本山親茂さんはこの後父ちゃんから可愛がられて長宗我部家中でも 力を見せたんだよ。
へー
そういえば親茂さんの奥さんって元親さんのお姉さんだよね。
そそ、だからぼくの伯父さんになるんだよ。
立派な長宗我部一門だよね。
長宗我部家っていろんな豪族との間に婚姻関係や養子縁組で 根を広げているんだよね。
確か
おおっ、さすが勉強家だね三成ちゃんは。
父ちゃんの弟、ぼくからしたら伯父さん達は、土佐の豪族吉良家や香宗我部家 に養子にいってるし、ぼくのお兄ちゃんも津野家や香川家に養子に行ってるんだよ。
戦国時代ならではだけど、こうやって地方豪族との絆を深めていくことで戦力UPを 狙ったんだね。
へー
それって毛利元就公の作戦と一緒だね。
でもなんで有名じゃないんだろう??
それって遠まわしに地味って言ってない??
そんなー
被害妄想だよぉ盛親ちゃん。
なんかその笑みといい、気になるけど・・・
けど正直ぼくも毛利に比べると地味だと思う・・・
まぁまぁ、共に戦った仲じゃん。
・・・
おっと、今回のお話はここまでにします。
もし、続きが見たい人は下のリンクからどうぞぉ!!
それではお付き合い頂きありがとうございました。
ばいばーい!!
えー一方的な閉めだぁ
また会おうね〜
ばーいばー
ブチン!!
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