土佐の戦国Data





こうちじょう
高知城
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情報(特徴)

高知城

南北朝時代の豪族であった大高坂松王丸が城を築き、「大高坂山城」と名付けたのが高知城の原型と言われています。その後、松王丸は敵に攻められて落城し、一旦は廃城となります。

その後、長宗我部元親が1587年に城を改修し、岡豊城から移転しますが水害によりやむなく居城を岡豊城に戻します。

関ヶ原の合戦後、新たな国主となった山内一豊の命で1603年に大改修が完成し、本丸や二の丸が出来たそうです。
このタイミングで「河中山城(こうちやまじょう)」と改名して、一豊が入城します。一豊が実際に暮らしたのはわずか2年ほどでした。

周辺の治水工事を行ったり名前を変えても相変わらず水害はなくなりません。そこで山内家二代藩主忠義が、名前を「高智山城」に改名(っていうか漢字をかえただけ??)します。

その後、現在の「高知城」になったということです。時代が進むにつれて治水の技術も向上し、水害も軽減していったのでしょうね。

江戸時代以降は何回か火災に遭ったりして、改修を繰り返して現在の姿になっています。

現在でも大雨が降ると鏡川などが氾濫し、水害は100%なくなったわけではありません。
高知城周辺もしょっちゅう水浸しになっちゃいます・・・

周辺地図

 高知城が現在の様相になった頃には、戦も減り、守るというよりも一国の主が住むにふさわしい風貌のお城へと変化していったと考えられます。

しかしながら、もしもの時を考え、四重五階の立派な天守閣のある本丸を二の丸や三の丸でしっかりと守っています。

今でも調査が進められているみたいで、行く度にどこかで工事をしています。

 本丸までの高低差も結構あります。階段が多くて予想以上に疲れます。2006年にはNHKの大河ドラマで「山内一豊」が主人公でしたので、イベントも多かったのですが・・・

入口の追手門の傍には山内一豊の像があり、三の丸へ上る途中には、一豊の妻である「千代」の像があります。やっぱり一豊は千代に頭が上がらなかったのでしょうか?

Photo

大手門

追手門(下から見上げてみた)

高知城の入り口です。

関ヶ原以降は実際に高知城に敵が攻め寄せた記憶はないですが、夜や有事の時(小競り合いや一揆?)では堅く閉ざされていたことでしょう。
写真は下から撮ってみました。普通の写真は公式などで綺麗にとられていますので、そちらをご鑑賞ください。

私も小さな頃から数えきれないくらいこの門を通ってきましたが、通る度に威圧感はあります。

追手門 大手門 (後ろから見た)

裏から見た追手門です。段差があるので自転車ですいすいは進めません!

今は少ししか無くなっている石垣ですが、昔はもっと長く御城を囲っていたんでしょうね。

大手門(階段)

門の上に上る階段が裏についてます。階段の上には柵が会って、関係者以外は立ち入り禁止なんでしょう。勝手に上ると怒られて最悪捕まりそうなので眺めるだけでおわりました・・・

横から 大手門(横からチラッ)

説明しずらい場所から撮ったワンショットです。

大手門から伸びている石垣が途切れる場所にちょっとした道がありまして・・・そこからチラっと撮影しました。
ここから山内一豊像まで進めます。本当は通ってはいけない場所なのかもしれませんが。どうでしょう?

国賓 高知城 高知城の石碑

大手門の傍ら(かたわら)にひっそりと建っている石碑?です。

こんな所に立っていたら鉄砲や弓矢の餌食になりそう・・・(怖)

板垣退助像

本丸へと続く階段の登り口にある像が「板垣退助」です。戦国時代の方では無いので割愛しますが、個人的には「なぜここに山内一豊の像を設置しなかったんだろう?」って思いますが、頭の良い方たちの考えだろうと思います・・・

階段を上ると・・・

結構急な階段を「よいしょ、よいしょ」っと上ってくると、少し段差が楽な場所に出ます。

休憩も兼ねてちょっと目をやると、何か変な突起物が・・・

まさか・・・罪人の処刑台か何かか!?と思ってしまいますが。

石樋(いしどい)

謎の突起物の正体は・・・

実は『石樋(いしどい)』といいます。詳しい説明は公式などにも書かれていますが、要約すると

水路みたいなもので、突き出しているのは排水口からでた水が石垣に直接当たらないように工夫された跡だそうです。

元々水はけの悪い土地柄なので、排水に関して当時は悩まされていたんでしょう。

結構きつい階段・・・

御城なので仕方ないかもしれませんが、結構階段が急で長いので初めて行かれる方は多少の覚悟はひつようだと思いますよ。

毎日のように散歩されているおじいちゃんやおばあちゃんもいますので、がんばる気にはなりますが。
真夏は特に気を付けてください。頂上に上るころには汗だくになっているかもです・・・

山内一豊の妻の銅像

「山内一豊」と言えば有名なのが「内助の功」でしょう。

この方が居なかったら土佐の藩主は山内家ではなかったでしょうね。こんな言い方をしたら怒られそうですが・・・

歴史に詳しくない方でもこの言葉は知っていると思います。

丸に三つ葉柏

土佐山内家の家紋『丸三葉柏紋(まるにみつばかしわもん)』についての説明板がありました。

枯れているのは「柏」の木らしいです。

三の丸石垣(3)

この石垣の上が三の丸です。

土佐の他の城ではこの規模の石垣なんてないでしょうね。綺麗に整備されている『高知城』だからこそでしょう。

石垣から見上げた御城

二の丸へと続く階段より見上げた写真です。

詰門

本丸と二の丸の間にあった空堀を跨いでいるような造りになっている門です。

登城した武士たちが詰めていた場所なので「詰所」と総称されています。

二の丸

今は広場になっています。ここまで上がってきたら一旦休憩ですね^^

本丸に入るにはお金(個人18歳以上で420円・・・)が必要ですので、私は大体ここからの眺めを楽しんでから帰るようにしています。

天守閣への入り口

二の丸にある天守閣への入り口です。

時間とお金に余裕があればぜひ登ってみて下さい。雄大な高知の風景が見渡せますよ。

二の丸の築山と池

二の丸にある小さな築山です。癒されますよ。

二の丸からの眺め

二の丸からの眺めですが、とても綺麗ですよ。

天守からの眺めとはまた違った風格がありますね。

高知城の梅

高知城には梅や桜を初め、様々な木々が植えられています。

私が撮影したのは春前でしたので、ちょうど梅の花がきれいに咲いていました。

南の石垣

高知城は二の丸からぐるりと本丸を回って登ってきた階段へと合流できるようになっています。

城の南側から見上げた石垣です。これも立派ですね!