土佐の戦国Data
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逸話・用語集 > 中島可之助

◇ 鳥無き島の蝙蝠 ◇

 中島可之助(べぐのすけ)は若い頃から武芸、和歌、学術に優れた武将であったが身分が低かった為、名前だけは一番になるようにと、この名前とした。
「可」という文字は漢文で必ず一番上に来る字である。
 元親が、長男弥三郎の烏帽子親を織田信長に依頼しようと思い、使者を選ぶ事になった。協議では身分の高い家老を遣わそうとなったが、元親は中島可之助に決めた。
 命を受けた 可之助はさっそく尾張に出向き、斉藤利三から明智光秀を通して信長本人との対面する事ができた。
 可之助が口上を述べると信長は笑って
 「元親は、鳥無き島の蝙蝠なり」
 と馬鹿にした。
 すると可之助はすぐさま、
 「我が君主は、蓬菜宮の寛典に候」
 と堂々とした口ぶりで答えた。
 信長は可之助の物怖じしない態度と返答を誉め。烏帽子親の件を承知し、弥三郎に自分の「信」の字を与えた。

〜鳥無き島の蝙蝠の解釈〜

「鳥なき島の蝙蝠」にはいろんな解釈があります。
本来信長がいった言葉は「ムチョウトウノヘンプク」だそうで、これを漢字に変換すると 「無鳥島之蝙蝠」になります。
つまり、鳥のいない島で
「自分は鳥だ、偉いだろう」と言い張っている蝙蝠のような男。
と元親をケなした内容でした。
蝙蝠とは相手によって態度をコロコロと変える節操の無い人を指し、松永久秀も蝙蝠と呼ばれています。

一方、可之助の
「ホウライキュウノカンテン」ですが、蓬莱宮(ホウライキュウ)は仙人の住む美しい神殿だそうで、寛典(カンテン)とはゆとりがあり、寛大な性格のような意味になるようです。
つまり、仙人の住む宮殿のように美しく、寛大な性格を持った男だと言い返したことになります。
さらに、可之助の言葉にはまったく意味がなく、売り言葉に買い言葉でそれらしく言い返したという説もあります。
もしくは、カンテンは寒天のことで、寒天はテングサで作る事から、 元親のことを言ったのではなく、信長の事を
「あなたは蓬莱宮にいる天狗(テングサ)じゃねーの」と言い放ったとも言われています。

実は、信長自身もこの可之助の言葉を的確に理解した訳では無く、このような状況の下で、戸惑うことなく堂々と話せたその度胸と頭の切れを賞賛したらしいです。