浦戸城は、朝倉城城主であった本山梅慶によって基礎となる砦が築かれました。その後長宗我部元親が岡豊城より拠点を移して、改修を行って三層の天守閣を持つ立派なお城になりました。(岡豊城には天守閣はありませんでした) その後、元親の盛親の代に関ヶ原の戦いが勃発し、西軍に組した長宗我部家は改易となります。 新しく土佐を賜った大名山内一豊を快く思わない一領具足(長宗我部家の家臣)達は、この浦戸城に立てこもって抵抗します。(浦戸一揆) しかし、1603年には改築が完了した大高坂山城へと移った為、浦戸城は廃城となりました。 |
桂浜の背後にそびえる山一帯が浦戸城です。土佐で初めて天守閣を持つ城として立派に造られていたと想像できます。 天守閣の周辺には本丸、詰ノ段、三ノ段、二ノ段等で武装されており。岡豊城に比べて、より近代的な城であったと考えられます。 浦戸城で使用された石や瓦等のほとんどが、高知城改築時に利用され、現在はほとんど、っというか全然残っていません。非常に残念ですが当時の事を考えると仕方なかったのでしょうね。 |
まずは桂浜 | |
高知の観光名所で有名ですね。太平洋を一望できる綺麗な場所ですので、高知へ来たなら必ず寄ってもらいたい場所ですね。桂浜へは、浦戸城があった山を通っていきます。 途中で桂浜への道(下り)と坂本龍馬歴史館への道(上り)に分かれています。 写真は坂本龍馬像がある場所から見える桂浜です。 |
浦戸城の城壁跡 その1 | |
坂本龍馬記念館の入口にある駐車場脇に少しだけ石垣が残っています。天守閣の城壁だと思いますが、花壇もあって、意識してみないと「なんじゃこりゃ?」といった感じですね。 |
天守閣跡への階段 | |
石碑の横には、浦戸城天守閣跡へと登れる階段があります。これまたひっそりと標識があるだけですので、見落としてしまうかも・・・ |
山祗神社の鳥居 | |
今は「山祗神社(やまつみじんじゃ)」となっているようでした。鳥居の横の茂みから猫が飛び出てきました。 |
浦戸城天守閣です! | |
第一印象「小さいねぇ」でした。この広さに建っていたの?でしたね。 |
浦戸城の城壁跡への標識 | |
桂浜荘の入口あたりに標識発見!矢印の方向へ進むと駐車場への坂があります。 |
浦戸城の城壁跡 その2 | |
天守閣下の城壁に比べるとこじんまりとしていますが、立ち入り禁止の標識もありました。 |
絶景かな!絶景かな | |
坂本龍馬歴史観横の坂道を下っていくと、太平洋を一望できるすばらしい場所があります。この場所が詰ノ段です。 |
三ノ下段 | |
注意してみないとただの道にしか思えない場所ですが、ここが三ノ下段跡です。細長い通路のような地形です。 当時は柵や堀等で武装されていたのでしょうね。 |
三ノ段?? | |
堀切に進む手前に2階建ての物見台がありました。ここからの眺めもまた最高です! |
堀切 | |
三ノ段??でキョロキョロすると・・・ありました! 城跡らしい??案内板が。 道沿いにしっかりと3本掘られています。ここから敵を待ち受けて鉄砲や弓で応戦していたのでしょうか? 昼間でも薄暗く、ちょっと怖い雰囲気でした。 |
二ノ段 | |
堀切のある道を進んでいくと、緩やかな階段があります。その階段を昇ると。 ありました!二ノ段です。写真が下手でわかりづらいのですが、結構広かったです。 地面には砂利が敷き詰められていて、ベビーカーの車輪が埋もれちゃいました。仕方なくベビーカーを持ち上げて進む事に・・・ お子様と一緒の場合は少し注意が必要ですね。 |
アスレチック場 | |
二ノ段の先には、広場があり、アスレチック遊具があります。(2007年11月現在)あいにく遊具が古くなって、遊べなくなっていました。 |
浦戸湾の眺め | |
二ノ段から見える浦戸湾(桂浜の反対側)の眺めです。下に少しだけ移っている道が浦戸大橋です。今は無料になっていますので、気軽に利用する事が出来ます。 高所恐怖症の人は、この浦戸大橋を渡るのには勇気がいるかもしれません。 |
井戸跡 | |
坂本龍馬歴史観の南には、浦戸城井戸跡がありました。 |
浦戸城址碑(しひ) | |
桂浜へ向かう道脇には、浦戸城址碑があります。坂道の途中にありますので、運転に注意しながらキョロキョロとしていたら直ぐに見つかりますよ。 正直何を書いているかは解りませんでしたが、傍には日本語と英語で書かれた案内板がありますので、そちらでゆっくりと確認したらよいと思います。 私が撮影した時は桂浜へ観光される方の車が大渋滞。 |
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